金山メインストリートコース
相川のまちに、今も残る名所・旧跡をめぐります。
相川の町並みを楽しみながら歴史・文化にふれることができる、
「歩けばわかるおもしろさ」がテーマの、歴史満喫コースです。
徒歩での移動時間(立寄り時間は含まれていません)
見どころ紹介
慶長8年(1603)、佐渡代官・大久保長安によって相川町の本格的な町だてが行われました。相川町で最も特徴的なのは山師(※)町がつくられたことです。全国各地の鉱山から集まった山師たちは、自らの町に多くの採掘職人を住まわせました。山師たちが暮らした地域を歩き、相川町がつくられていった当時に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
※山師(出典:佐渡市「 佐渡を世界遺産に」)
鉱山経営者のこと。山仕、山主とも言われました。新しい鉱山を発見し、開発するのが仕事であり、17世紀(江戸時代初期)には、40人以上の山師が佐渡にいたといわれています。金銀山開発によって莫大な財を手にし、寺などを建てた人もいました。
弥十郎駐車場
佐渡奉行所跡から佐渡金山に向かう道沿いにある駐車場。「弥十郎」は山師の丹波弥十郎に由来しています。この場所には佐渡・相川出身の明治時代の偉人、益田孝の碑があります。益田孝は青年時代を徳川政権の幕臣として過ごし、江戸城開城にともない武士から商人に転身。世界初の総合商社「三井物産」を創設し、「日経新聞」の前身である「中外物価新報」を創刊した人物です。また古美術や風流を愛し、御殿山の自邸や小田原の別邸で数々の大茶会を催した茶人「鈍翁」としても知られています。
おすすめポイント
弥十郎駐車場は佐渡の歴史的風致事業において、2029年までに公園を併設し、訪れた方がより周辺観光を楽しめる場所となるよう再整備される計画があります。
神明社
神明社は相川の上町一体の総鎮守として、山師の備前夕白が開いた夕白町に建てられ、地元では「神明さん」とも呼ばれています。創建年は不明ですが、古くは濁川(北沢川)の北岸にあったといわれています。現在の場所に移ったのは延宝3年(1675)で、鉱山祭りの山車づくり、盆踊りなどの際、地区の集会所としても利用されてきた、上町地域の住民との結びつきが強い神社です。神明社の隣には不動堂があり、「佐渡相川志」によると、その付近には江戸時代に修験の大行院、佐州当山派の触頭(総代)がありました。
[山師 備前夕白について]
向山※に間歩(鉱石を採るために掘った穴)を開発した山師の一人です。
※向山とは、道遊の割戸に向かって、右側の沢を「右沢」、左側の沢を「左沢」(現在の二級河川・濁川)の右岸のことを指します。
おすすめポイント
神明社の他、京町界隈の石垣には丸い石が使われています。この丸い石は、金銀山から掘り出された鉱石を細かく摩るために使用された「石臼」で、石垣は土地の境界線の役割を果たしました。
蔵人坂
蔵人坂の「蔵人」とは大久保長安によって採用された山師の一人、豊部新五郎のことです。豊部新五郎は後に「豊部蔵人」と名を改め、蔵人個人が築いたと言われる蔵人坂の石段は、当時の姿を残す貴重なスポットになっています。また豊部新五郎の名前は新五郎町としても残っており、山師の影響力の大きさが伺えます。
旧相川拘置支所
蔦の覆う高さ3mほどのコンクリート塀に囲われた、旧相川拘置支所。昭和29年(1954)に開設、昭和47年(1972)まで使用されていた全国的にも珍しい木造の拘置所で、国の登録有形文化財にも指定されています。面会室や居房など拘置所全体を見学できるようになっており、その珍しさから若い人にも人気の観光スポットです。炊事・倉庫棟はL字形平面の質素なつくり、居房棟は開口部に鉄格子を嵌め込んだ特徴的なつくりになっています。
浄土真宗本願寺派・大福寺
慶長17年(1612)に建立された浄土真宗本願寺派の寺院です。大福寺に残されていた過去帳の写しによると、播磨、石見、越前、越中、大阪出身者等、遠方から佐渡に渡って門徒になった人々がいたことがわかっています。このうち播磨や石見は佐渡に先駆けて鉱山が開かれた地域。専門的技術を持った人が稼ぎ先として佐渡に渡り、大福寺の門徒になったといわれています。
相川京町通り
板張りの家屋が続く、約700mの緩やかな坂道「相川京町通り」。江戸時代は佐渡きっての繁華街として賑わっていました。現在ではギャラリーが点在しており、相川で受け継がれてきた様々な文化を観て・ふれることができます。古民家を改装したカフェやレストランもあり、レトロな雰囲気を楽しめます。
会津町
かつてこの町は「山崎町」と呼ばれ、江戸時代の遊女評判記『色道大鏡』では京都の島原、長崎の丸山町と並んで掲載されるような花街でした。また会津町は川端康成や永六輔、ドナルド・キーンといった著名人も宿泊したことがある、旅館「清新亭(せいしんてい)」がある町として知られています。清新亭は、三菱時代の鉱山長の社宅だったものを譲り受けて昭和30年(1955)に開業。平成11年(1999)に廃業しましたが、現在も当時の趣を残しており、明治期の建築を知ることができます。
文化の十字路
三菱商事の社長・会長、三菱本社社長を歴任した田中完三(たなかかんぞう)が住んでいた場所であり、石碑が建てられている十字路です。その延長線上には、現在の日本経済新聞の前身にあたる新聞を創刊し、茶人としても高名だった益田孝の石碑もあり、日本経済や文化の礎を築いた偉人が交わった場所であることから、「文化の十字路」と呼ばれています。
時鐘と鐘楼
相川の味噌屋町にある鐘つき堂。時鐘と鐘楼ができる前は、奉行所内に太鼓を置いて町民に時を知らせていました。正徳2年(1712)に荻原重秀奉行の指示で鐘がつくられ、六右衛門町広伝寺境内に鐘堂が建てられたことが時鐘と鐘楼のはじまりです。はじめにつくられた鐘が破れた後に、新しい鐘は佐渡産出の銅でつくられ、味噌屋町の鐘楼に設置されました。国指定史跡、相川金山遺跡であり、定刻には地域の方々が鐘を打ち、今もなお相川のまちに朝夕の時を告げ続けています。
佐渡版画村美術館
旧相川簡易裁判所を利用した版画作品の美術館です。明治建築の趣のある建物のなかで、高橋信一の作品を中心に木版画、銅版画・シルクスクリーンなど、約260点の版画作品が展示されています。高橋信一は日本版画協会、国画会の会員で、海外のコンクール受賞歴もある優れた版画家でしたが、版画の教育者としても知られています。高橋が27年間勤めた両津高校での指導と、その成果は全国、海外でも高く評価されました。また高橋は両津高校退職後に島内各地を回り「佐渡を日本一の版画の島に」という理想を掲げて「版画村運動」を行いました。そして昭和59年(1984)、高橋は社団法人佐渡版画村を設立し理事長に就任。同年、日本で初めてアマチュア作家の版画を展示する佐渡版画村美術館が開館しました。
詳細情報
- 住所
- 〒952-1533 新潟県佐渡市相川米屋町38-2
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 定休日
- 月曜日(祝日の場合は翌日休館)12月~2月は閉館
- 入館料
- 大人400円、小人200円
佐渡奉行所跡
金山の発展に伴って鶴子にあった陣屋が相川に移転し、後に佐渡奉行所と呼ばれるようになりました。佐渡奉行所は多くの坑道を管理するために便利な高台にあり、軍事的な城砦としても重要な役割を持っていました。また前面には鉱山物資を荷揚げするさまざまな番所があり、佐渡の経済の中心でもあったと考えられます。建造物としては、金銀を精製する「寄勝場(よせせりば)」もあった金山の町ならではの造りが特徴的です。当時の様子を忠実に再現しており、金の鍛錬工程の一部を体験することもできます。
詳細情報
- 住所
- 〒952-1531 新潟県佐渡市相川広間町1-1
- 営業時間
- 8:30~17:00
- 定休日
- 年末年始(12/29~1/3)
- 入館料
- 大人/500円、小・中学生/200円、15名以上団体割引あり
北沢遠望
北沢遠望は北沢浮遊選鉱場跡を含む北沢地区鉱山施設群の南側に位置しています。かつて北沢浮遊選鉱場は、佐渡金銀山で採掘した鉱石を粉砕・分離し、金や銀といった有用鉱物を効率よく選別する施設として建設されました。施設の規模は高さ35メートル、幅115メートル、奥行き80メートルと大きいため、施設付近では下部分から見上げる形になりますが、北沢遠望で上から見る形となるため、シックナーと呼ばれる円形の建物を含めた全体像を見ることができます。東洋一と言われた選鉱施設の全盛期を感じられる場所です。
おすすめポイント
近年、北沢地区鉱山施設群は崩れかかった建物に苔が生え、蔦がからまる様子がスタジオジブリの名作「天空の城ラピュタ」の天空城に似ていると注目を集めています。そうしたノスタルジックな世界観を写真に収めることができるスポットとしてもおすすめです。